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事なかれ主義からの脱却~中韓の嘘を暴き日本の真実を語る [WiLL斜め読み]

月刊WiLL12月号(平成25年)
西村眞悟さんの「愚かな国の 愚かな大統領」より引用

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日韓併合後 十数年が経過した時に
朝鮮を調査研究したイギリス人行政学者
アレン・アイルランド(1871年~1951年)はこう書いた。

「朝鮮民衆の生活が悲惨なのは、
過去五百年にわたってほぼ絶え間なく
朝鮮王朝を特徴付けてきた愚かさと腐敗によるものであり、
その間に存在した王朝の残虐な行為と汚職にまみれた体制が
朝鮮全域で蔓延していたせいであった。

一般大衆は誰もが、努力してもその結果を
享受する事を許されなかった。
そのため、産業や倹約、社会進歩などに対する意欲は
ことごとく破壊された。
こうした悪性によって朝鮮人は
何世代にもわたって苦しみ続けたのである。」

そして彼は、日韓併合から十数年間にわたる日本統治を
次のように結論づけている。

「今日の朝鮮は李王朝時代とは比べものにならないくらい
よく統治されており、
また多くの独立国と比較してもその統治は優れている。

すなわり、これまで私が尋ね歩いた
イギリス、アメリカ、フランス、オランダ、ポルトガル領の
いずれの植民地も良く統治されていたが、
その多くの植民地よりも、
日本の朝鮮統治は政府の行政手腕のみならず、
民衆の文化的経済的発展においても優れているのである。」
(『THE NEWKOREA-朝鮮が劇的に豊かになった時代』桜の花出版)

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ネットだけじゃなくて、
言論誌でこういう本当の事がたくさん表に出るようになってきたのは
良い事だと思います。

ネットと使った真実の掘り起こしが
ようやく功を奏してきた、ってところでしょうか。

もっともっとネットを使って、
真実を掘り起こし、嘘を暴き、
日本を甦らせるためにがんばりましょう。


以下に再度引用
***********************************************************

彼ら、韓国朝鮮と中国共産党が
歴史を道具として日本を非難するのは、
日本を彼らのプロパガンダとファンタジーの中に閉じ込めて、
わが国を東夷という華夷秩序の中の劣位、
即ち従属国の地位におくためである。

したがって、断じて彼らのファンタジーと
プロパガンダの「歴史」に屈してはならない。

わが国は、「ヒストリー」としての歴史を
正々堂々と貫かねばならない。

彼らは特殊な支那朝鮮という狭い地域における
自己中心的中華意識の中におるが、
彼ら以外のアジアと世界は、
嘘をつく事は悪い事だと子供に教える地域であり、
歴史をヒストリーとする世界である。

***********************************************************

さらに

***********************************************************

そして、我らの誇りある祖父母やご先祖の歩みに感謝して
歴史を振り返り、
日本人としての我々自身と実力を取り戻して歩み始めれば、
中韓以外のすべてのアジアが諸手を挙げて
我らの主張に賛同すると確信する。

***********************************************************


私は西村眞悟さんの寄稿に賛同します。

そして、日本を蝕むのは敗戦後の歴史と教育だけではなくて、

日本人自身の「事なかれ主義」であると自覚しましょう。
事荒立てども、真実を語るに勝る手立て無し。


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2月7日は北方領土の日

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デフレ脱却は「日銀がお金をすって、政府が借りて、使う。」のパッケージ [WiLL斜め読み]

景気を良くし、デフレを脱却すると、
増税など必要なく税収は上がり、財政は健全化する。
福祉にもお金を回せる。
子育てがしやすい社会になる。

自衛隊の装備も最新のものに出来る。


[以下WiLL斜め読み]

正しいデフレ対策は
・日銀がお金を刷る
・そのお金で日本政府の国債を買う
・政府が公共事業をする
それ以外にない。

それを批判する左翼系テレビの自称インテリたちの常套句は
「国債発行で国の借金を増やすのか!?」である。

その批判は間違いで、日本銀行が日本の国債を買い取った場合、
政府は『子会社からお金を借りる』という話になり
実質的にも名目的にも『借金』は増えない

国債の利払いは連結決算で相殺される
つまり「国庫納付金」として利払い分は政府に返還される。

すなわち、「通貨を発行し、借りて、使う」を一気通貫で実施する場合は、
日本政府には借金の返済、利払いの負担が発生しない

[斜め読みは以上]


選挙前にどの政党が正しい経済政策を訴えているのか、
確認しましょう。

私が見る以上は、正しい経済政策を打ち出しているのは、
たった一党しかありません。

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【WiLL斜め読み】誰が「南京大虐殺」を捏造したか [WiLL斜め読み]

マンスリーWILL 12月号より斜め読みです。


誰が「南京大虐殺」を捏造したか⑨

捏造に過ぎない「南京大虐殺」を史実だと主張する人は、
支那事変がどんな戦争だったか実相を知らないか、
知っていてもあえて無視する人々だ。

「日本は迷惑をかけた。謝罪しなければならない」
と主張する日本人も同様である。

支那事変は表向き、
日本軍と蒋介石率いる国民政府軍の間の戦争であったが、
実態は支那人が支那人を虐殺した戦争であった

周恩来首相の元で副首相を務めた郭沫若が日本で出版した『抗日戦回想録』で断言する。

《踏みにじられた同胞(支那人)の数は、
 戦死したり日本の侵略者に虐殺されたりしたものの
 少なくとも百倍以上はあっただろう。》

支那事変は蒋介石が 約十年にわたる経略と準備の末に仕掛けてきた戦争である

その動機は、支那のためでも支那人のためでもなく、
日本に対する個人的な逆恨みであった

蒋介石がどれだけ支那の民衆、庶民を踏みつけにしたか、
残酷の見本のような目撃証言例が、
アメリカ人記者の回想記にいくつも出てくる。

盧溝橋事件から一年が過ぎた1938年8月。
日本の北支那方面軍は、一部がさらに西の鄭州南方の
平漢鉄路まで進出した。
慌てた蒋介石軍は、日本軍を食い止めるために、
黄河の堤防を破壊、周辺の村々や安徽省、江蘇省の一部を水浸しにした。

アメリカ人記者のジャック・ベルデンは、
《このようにして彼は、11の都市と4千の村とを水没させ、
 200万の農民を宿無しにしたが、
 ともかく日本軍を停止させた。》
と述べている。

住処と生業を奪われた200万人は、
食べ物もなく、悲惨のどん底にたたき込まれたはずだ。

ベルデンは3年後に再びこの地方を回った。

《来る日も来る日も荒れ果てた土地、休閑状態の畑、
 人の住まぬ家が並んでいる。
 百姓たちは、国民党の徴税吏と蒋介石軍の徴発吏たちが
 収穫以上の穀物を要求するために、立ち去った。
 要求された税に収穫が追いつかないために、
 殴られたり牢屋にぶち込まれるのでは、
 どうして働く事が出来ようか?》

耳にした最悪の話は人食いの事実があるということだった
 たいていの場合、人肉をしたいから取るというのが、言い訳になっていた。
 ある村では、母親が二歳になる実の子を茹でて
 その肉を食べたことが発覚した。
 二人の息子を絞殺して食べたために告発されたという件もある。》
《貧しい子を預かるようにと軍に命令されて、
 ある農夫が8歳の少年を預かった。
 ところがいつの間にか少年の姿が見えない
 調べてみると、農夫の小屋の畑の大きな瓶の中から少年の骨が出てきた。》

~蒋介石の「ホロコースト」~

共産党軍が撤退した村を支配した蒋介石軍は、
「我々はすべての人を許すつもりだ。しかし諸君の中には
 共産党によって惑わされている者がいる。
 村役場まで出頭して悔恨状に署名しさえすれば、
 万事それでよい。」
と農民たちに言った。

活動的な農民がすべて再び村に戻ったと見るや、
国民党は悔恨状の署名者全部を縛り上げ、公然と処刑した。

蒋介石が日本に戦争しかける際に採用した戦術の一つは、
「焦土作戦」だった。
侵入してきた敵に施設などを仕えなくさせるために、
各種施設に火を放ち破壊する作戦。

1938年11月。湖南省の大都市、長沙。
日本軍が攻め込んでくるとの噂に怯え、
事前の警告も梨に街のあちこちを放火した。

蒋介石は、自慢の焦土作戦を、
上海から南京に至るまでの戦場でも実行させた。

支那兵は南京市内にも放火し、
放火だけではなく、略奪、強姦にも精を出し、
夢中になっているところを日本兵に狙撃される、という
オソマツも演じた。

国民党軍は農村を破壊、工業を破壊、交通・通信を破壊、
ことごとく自国の文明を破壊した。

世界の歴史には、異民族が他民族の生活基盤を
徹底的に破壊したケースはいくつもあったと思うが、
自国民を対象にこれほど徹底した文明破壊は、
歴史に前例を見ないだろう。
とても20世紀に生きる人類の振る舞いとは思えない。


狼藉を尽くした蒋介石軍が逃げ去ると、
人々は安堵して隠れ場所から出てきて、
野蛮人どもを退治した日本軍を歓迎した。
南京でも同じだった。
心からあふれるような笑みを浮かべた現地人が
日本兵を取り囲んだ。

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今も昔も日本をダメにするのは朝日新聞 [WiLL斜め読み]

マンスリーWiLL12月号
堤堯さんの「魔都・上海の街を歩いて考えたこと」より斜め読みです。

原爆投下やソ連参戦が日本の意志とは関係ない、
既定路線だったことは前に拙ブログでもご紹介しましたが、

今回はさらに当時の朝日新聞が、
民主党政権が誕生した現代と同じように、
国民をミスリードする報道をしていたという内容が分かりやすく
書かれていましたので、ご紹介します。

(最近のWILLは堤さんのこの記事を読みたいがために買っているようなものですw)



【以下引用】

首相・鈴木貫太郎の評価は、いまだに低い。
低いどころか、貫太郎がポツダム宣言を「黙殺」発言した、
ためにヒロシマ、ナガサキ、ソ連参戦を招いたとする非難が
いまだに根強く存在する。

結論から言えば、
貫太郎は「黙殺」という言葉を唯の一度も使っていない
使ったのは「重要視しない」、このひと言だ。

実は、「黙殺」というあざとい言葉を最初に使ったのは
朝日新聞である
それも貫太郎の記者会見より前に
「政府は黙殺」の見出しで報じた。
これが以後、一人歩きをはじめる。

ポツダム宣言が出されたのはベルリン時間の7月26日。
翌27日の正午に書記官長・迫水を囲む記者会見があり、
こんな会話が交わされた。

迫水
「日本としてはこれ(ポツダム宣言)を直ちに受諾するという態度は
 (軽々には)取れない。
 だからまあ、ニグレクト(放っておく)する方向になるだろう」

記者
「じゃあ黙殺するということですか?」

迫水
「黙殺?ニグレクトってのは黙殺とも言えるかなあ」

つまりは誘導尋問だ。
これを翌日の朝日は「黙殺」と報じ、読売、毎日は「笑止」と報じた。
いずれも28日の朝刊だ。貫太郎の定例記者会見は28日の午後4時。

・+*・*+・+*・*+・+*・*+・+*・*+・+*(ブログ主の感想)・*+・+*・*+・+*・*+・+*・*+・+
政府の人間を誘導尋問にかけて、都合のいい言葉を引き出し、
朝日新聞の思惑通りに話を捏造する。
朝日新聞が日本の国益に反する報道をするのは、
今も、昔(敗戦前)も同じだったという事ですね。
・+*・*+・+*・*+・+*・*+・+*・*+・+*・*+・+*・*+・+*・*+・+*・*+・+*・*+・+*・*+・*+・+*・*

毎日新聞の名取は
「総理はハッキリしたことは何もいわれなかったんですよ。
 近頃(昭和20年当時)の言葉で言うとノーコメントと
 いったところなのですが、
 印刷すると(朝日の朝刊)ああなるんですかねえ」
と怪訝な面持ち・・・・・・。

小堀桂一郎氏は著書で
「現場にいた人が、総理はハッキリした事は何も言わなかったのに、
 『印刷するとああなるのか』と訝(いぶか)しく思ったという、
 これが一番真相に近いのではあるまいか。」
と書いている。

いずれにせよ、貫太郎はポツダム宣言への対応を、
しばらく音無の構えで行きたかった

しかし、最初に「黙殺」の二文字を活字にしたのは朝日新聞である。

「政府は黙殺」の見出しに続けて、
「政府としては何ら重大な価値あるものにあらずとして、
 これを黙殺するとともに、
 断乎戦争完遂に邁進(まいしん)するとの決意を固めている」
とリードをつけ、

さらにポツダム宣言は
「多分に宣伝と対日威嚇」(中見出し)を意図したものとして
“解説”をつける念の入れ方だ。

これが朝刊で、海外ではすでに
「ignore=無視する」も「reject=拒否する」も流れている。
貫太郎の会見はその後に行われ、「黙殺」は一言もなかった。

貫太郎がその様な事態を招いたとする通説は、まったく話が逆だ。

朝日の「黙殺」記事は、いかにもあざとい。
軍部の強硬派に媚びて、ポツダム宣言を「圧殺」する方向へと
世論を誘導するためではなかったか。


その朝日が、敗戦後にも「黙殺」を首相・鈴木貫太郎が用いたとして、
陰に陽に貫太郎の責任をあげつらった。
あたかも自らの罪を塗りつぶし、おまけに素も知らぬ顔で
罪をひたすら貫太郎にかぶせるかのように、だ。

なんという卑劣・狡猾な所業か。

小堀氏の『宰相 鈴木貫太郎』に
この記者会見で鈴木氏が重大な過失を犯したかのような
 解釈と認識が国内で次第に強力になり、
 鈴木氏自信もいつしかそれを信じるようになった。
 これがどんなにか氏の心を傷めたかは想像に難くない。

貫太郎の無念を思いやり、
さぞ口惜しかったろうと、いつも涙腺が緩んでくる。

しかし生前、その種の批判を貫太郎は耳にしていたに違いないが
「あの一言は後々まで予の遺憾とするところ」
――この一行に、貫太郎はすべての思いを託して逝った。
およそ他人を非難・攻撃するところのない人だった。

ところで「黙殺発言」から来る「ignore」や「reject」が
米英ソにいかなる影響を与えたか。

実はなんの影響も与えていない。

日本の首相が何と言おうが、
アメリカは原爆投下の計画を推し進め、
ソ連は日本侵攻の機を窺っていた。


ポツダム宣言を発したのは7月26日
アメリカ陸軍首脳部が原爆投下の最初の指令を発したのは
7月22日
実施命令書を手交したのは24日
いずれもポツダム宣言を発する前だ。

米大統領トルーマンは、日本がポツダム宣言を容易に受諾しない
いや受諾できない事を知っていた。
なぜなら、日本が望む唯一の条件「国体護持(天皇の安泰)」を
条文から削っていたからだ

イギリス首相チャーチルは「少しは日本の名誉を認める条件緩和」を
示唆したが、アメリカ大統領トルーマンは
「日本に認めてやるべき名誉なんてないよ」と応じた。

ソ連スターリンも有条件を助言したが、
それは「武装解除してしまえば、あとは何とでもなる」で、
ロマノフ皇帝一家を惨殺した彼にすれば、
天皇の温存なんぞ問題外だ


マッカーサーは原爆投下に反対した。
原爆を用いるまでもなく、日本の降伏は近いと見た。
おなじくアイゼンハワー(欧州総司令)も反対した。

この種の反対論にトルーマンは言った。
「けだものには、けだものを扱うやり方がある!」

原爆を手にした瞬間から、トルーマンはソ連の参戦を煩わしく思うようになる。
出来ればこれを阻止したい。

スターリンにすれば、そうはさせじ、だ。
トルーマンが原爆を手にした事はスパイの情報で知りながら、
素知らぬ顔でヤルタの密約の対価をつり上げようとする。
あげくは北海道の半分を要求してトルーマンに蹴られる。

ソ連を警戒していたチャーチルは、
だからいわんことじゃない、とルーズベルトのバカさ加減を呪いながら、
トルーマンにアレコレ助言をしつつ、
ヨーロッパ、アジアにおけるイギリスの権益を維持しようと図る。

そんな彼らにとって、
日本の首相が何を「失言」しようが問題にもならない。
トルーマンもスタッフも、
それこそ「黙殺」した。


以上を整理すれば、
①貫太郎は「黙殺」の語を使っていない。
②発言の如何(いかん)は原爆投下、ソ連参戦の既定路線になんの影響も与えなかった。

という事になる。

なのに、鈴木貫太郎主犯説はいまだに絶えない。
これはすなわち冤罪(えんざい)である。

終戦の時期を狂わせ、原爆投下、ソ連参戦を招いたのは、
ポツダム宣言から「立憲君主制」を認める条項を外し、
原爆投下の実験をしたトルーマン、
それを利して日本侵攻を間に合わせたスターリンだ。


鈴木貫太郎の葬儀には、
焼香の客が延々数キロに及んだ。
彼の死後、夫人たかは生活に困窮したが、
近所の若者が食べ物を運び、畑を耕して彼女を助けた。
「救国の英雄」の伴侶を飢えさせてはならぬ、という思いからだ。

たかを案じて訪れた幣原喜重郎が
「いまさらながら鈴木提督の徳を知らされた」と著書『外交五十年』に記している。

鈴木貫太郎の生家は記念館になっており、
ゆかりの品々が陳列されている。

海軍兵学校時代の成績簿があり、みれば44人中11番。
このあたりがちょうど良い。1、2番にはロクなのがいない。

この救国の大宰相に濡れ衣を着せ、
石を投げる輩は無知、あるいは狡猾の徒である。


【引用は以上】



学校の教育がいかに間違っているとはいえ、
テレビや新聞の報じるように、当時の政府が何か間違っていたんじゃないか、
という思いをかつては持ってしまっていた自分を、恥ずかしく思います。

テレビ、新聞は自分たちの間違いを隠そうとする。
ごまかそうとするから、ウソを上塗りする。

ウソの上塗りはいつしかとんでもない方向へと進み始める。


民主党政権がようやく終わろうとしていますが、
テレビ、新聞などは相も変わらず自分たちの間違いを認めない、
いまだに安倍さんに厳しく、反日政治家に優しい。

日本をまともにするのためには、
日本国民自身がもっと勉強をして本物を見抜けるようなならないといけませんね。

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NHKがまた反日番組を放送 [WiLL斜め読み]

反日番組で有名なNHK。

そのNHKが今年の敗戦の日に放送した
「終戦・なぜ早く決められなかったのか?」

番組は、
当時の鈴木貫太郎首相とその内閣が、
ポツダム宣言(無条件降伏)を受け入れるのが遅かった、と批判し、
広島と長崎の原爆投下と、ソ連の参戦が
まるで日本側が原因で起きた事のように解説します。

NHKは3年前、「ジャパンデビュー」なる番組で、
日本の台湾統治に難癖をつけ、
ありもしない日台戦争をでっちあげ
日本は万博に台湾原住民を連れて行き
人間動物園として公開した、と
まったく事実に反する内容を放送しました

そのジャパンデビューの放送内容に対して、
取材を受けた台湾の人から「事実と違う」と
NHKは提訴されています

にもかかわらず、
NHKは懲りずにまた反日番組を厚顔無恥に放送しました。


WiLL11月号 堤堯さんの
「魔都・上海の町を歩いて考えた事⑧」
で、NHKの「終戦・なぜ早く決められなかったのか?」が
いかに間違った内容で、幼稚きわまる番組なのかが
わかりやすく解説されています。

以下、堤さんの記事を引用
(全文をお読みになりたい方はWill11月号をご購入くださいw)

*・+・*・+・*・+・*・+・*・+・*・+・*・+・*・+・*・+・*・+・*・+・*・+・*・+・*・+・*・+・*・+・

NHKが67年目の終戦記念日に因んで、
「終戦・なぜ早く決められなかったのか?」
と題する特別番組を放映した。
一口にいえば、実に幼稚な番組というしかない。

まず番組は、「驚くべき新発見」として、
イギリスのアーカイブ(国立公文書館)から発掘した「新発見」を揚げる。
在欧の日本武官が、ヤルタの密約でソ連参戦の可能性あり
とする極秘電を本国に打っていたとする「新事実」だ。

司会役の加藤陽子、岡本行夫らが「はじめて知った。これには驚きでした。にもかかわらず、なぜ愚図々々していたのか」と論難する。

しかし、この極秘電にかかわらず、つとにソ連参戦は予期されていた。
ヤルタ会談は2月で、スターリンがこれに出かけていった理由を誰しも考える。 そして4月5日、ソ連は日ソ中立条約を破棄した。なんのための破棄か、その意図は子供にも分かる。

中立条約は破棄されたものの、その有効期限は条約上、あと1年の猶予がある。それを踏み破れば国際法違反だ。
とはいえ、スターリンの事だ。日本への侵攻は十分に予期された。
昭和天皇は早くも2月に「ソ連は出てこないか」(攻めてこないか)と憂慮していた。

徳富蘇峰は『終戦後日記』に「最終的に終戦を決意させたものは、原爆ではなく、ソ連参戦だ」と書いている。

ソ連参戦となれば、徹底抗戦派は継戦の口実を失う。と同時に、戦意はよほど削がれる。 そこまで待たずに終戦の動きに出れば、二・二六事件よろしく内閣は剪除され、国は統制を失い四分五裂、陸軍は本土決戦という展望のないゲリラ戦に出て、ついにはソ連に北海道まで取られ、挙げ句、日本は分断国家となり、東西冷戦の代理戦争が国内戦として展開されるに至っていただろう。

もっとさっさと降伏すればいいじゃないかと、後で批判するのは容易い。
下手を打てば、徹底抗戦派の戦意が内に向かってくる。ソ連参戦の方で戦意が削がれていなければ、クーデターの動きはさらに大きくなったに違いない。

近衛文麿を特使としてソ連に差し向ける案も出て、昭和天皇もそれを進めるようにと言った。
しかしその天皇にしてからが、前記したように、ハナからソ連の仲介なんぞに期待していない。
むしろ関心は、ソ連がいつ出てくるかにある。

スターリンは、ヤルタの密約でルーズベルトが約した満州、樺太、千島に加えて、あわよくば北海道まで力ずくで日本の領土をはぎ取るつもりだ。
その際、窺うのは大統領トルーマンの出方だけだ。

事実、ソ連は満州、樺太に侵攻した。 原爆投下で日本が手を上げれば、機を失う。急いでスターリンは、火事場泥棒の挙に出た。 のみならず、8月15日に日本が降伏した後までも、千島北端の占守島に攻め込み、島伝いに千島をかすめ取る。 占守島の日本守備隊4千人は終戦の聖旨に従い、一度はおいた鉄砲を再び取って何度も押し返したが、多勢に無勢、結局は全滅した樺太の真岡では、女性電話交換手9人が最後まで踏みとどまり、挙げ句は集団自決した。 ソ連が満州でやった暴挙、60万人の抑留……日本人は末代までこれらを忘れてはいけない。

ドイツ降伏の直後、トルーマンは前任者・ルーズベルトの遺志を受け継ぎ、日本に無条件降伏を呼びかけた。
無条件降伏となれば、何をされようが仕方がない。番組でも某陸軍武官が言うように
「天皇が縛り首になる可能性すらある」として、徹底抗戦派が反対するのも当然と言えば当然だ。

鈴木貫太郎が腐心したのは、何より国体護持を含む有条件の獲得だ。それすら獲得せずして、何を愚図々々している、もっと早くに和平に出ればよかったじゃないかと批判するのは、 天皇が縛り首になろうが一向に構わないというに等しい。

終戦の遅れの最大の原因は、何よりアメリカが突きつけた「無条件降伏」だ。ここをNHKの番組は外している。

無条件降伏は南北戦争からはじまった。当時のアメリカの人口は約2千万人。そのうちの70万人が死ぬめちゃくちゃな内戦だ。それを第二次世界大戦の始末に持ち込んだ。

戦勝国が敗戦国のシステムを変える事は禁じ手とされ、それがそれまでの国際間の通念であり、国際法上もそう定められている。これを力ずくで踏み破ったのがアメリカだ。 だからチャーチル(英国首相)は、ルーベルトの無条件降伏の要求を聞いて驚き、 「そんなことをしていいのか?」 と尋ねた。無条件降伏となれば、相手はあくまで抵抗する。相互の死者はどこまで膨れ上がるか知れたものではない。

歴史の浅い国アメリカは、戦争の始末の付け方も知らないのか。チャーチルの驚きは、むしろ常識だ
チャーチルはルーズベルトの後継者トルーマンに、「少しは日本に名誉と何らかの保証を示してはどうか」と、無条件降伏の緩和を示唆した。
しかし、トルーマンは聞き入れない。日本の無条件降伏を望むアメリカ国民の反発を恐れたからだ。

無条件を主張したのはホーンベック(極東部長)やラティモアで、ともにプロ中国として知られる。
有条件を進言したのは、ジョセフ・グルー(駐日大使から国務次官)やユージン・ドゥーマン(日本担当)で、ともに知日派だ。

ようやく有条件派が優勢に転じたのは、日本軍の奮戦敢闘による。 とりわけ海軍長官フォレスタル(のちに最初の国防長官)は、硫黄島に散乱する日米兵士の死体を見て深刻な打撃を受け、条件提示をしきりに具申した。 のちに彼は飛び降り自殺をした。観戦のショックから神経を病んだと目されている。

ポツダム会議の終盤、トルーマンは条件付きのポツダム宣言をソ連側に示した。モロトフ外相はスターリンの意を受け、「これでは無条件降伏にはならない。日本が受け入れたとしても、我がソ連は満州に侵攻する」と食ってかかった。事実、その通りにした。

構わずポツダム宣言を発して会議を散会したのは7月26日。 翌27日、トルーマンは原爆投下を発令して帰路に就いた。

のちにトルーマンは『回想記』で、「原爆投下は戦争を早く終わらせたかったからだ」としたが、真意は違う。

一つに、砂漠の実験では足りない。都市に落とす公開実験でその威力を共産圏に示しておきたい。 二つに、ソ連の侵攻の前に日本を降伏させたい。しかし、原爆投下の前に日本が降伏したのでは原爆の公開実験は出来ない。よって「女王蜂(天皇)」の保存を条件から外した。

このような米ソ、それぞれの思惑に日本の終戦工作は翻弄された。

現在の目で過去を裁くのは容易い。いや、歴史を扱うとき、もっとも避けねばならぬ事ではないか。幼稚な番組と総括するユエンだ。

繰り返すが、終戦の遅れを招いた最大の原因は、アメリカが突きつける無条件降伏にある。チャーチルも驚いたように、これほど危険なものはない。ジョージ・ケナン(ソ連封じ込め政策の立案者として知られる)は言っている。
「全面勝利という観念ほど危険な妄想はない。過去においても将来においても、これほど大きな害毒をもたらすものはない」(アメリカ外交50年)

無条件降伏を要求するもの―アメリカ人は、そうは考えない。正邪を決するものとして、戦争を考える。だから南北戦争で60万余の死者を出す。
おまけに、相手国の形を変えようとまでする。

アメリカは「マニフェスト・デスティニー(明白な使命)=劣等民族の支配・教化」を神から授かった使命として国是に掲げ、宗教戦争のごとくにして戦争を戦い、挙げ句は支配した国にシステム(憲法)の変更まで押しつける。 このような戦争のファナティックな始末はアメリカがはじめたことで、それまでにはなかった。 日本の憲法変更や極東軍事裁判(東京裁判)も右の文脈にある。
三谷信は『級友 三島由紀夫』(中央文庫)を著下。中にこんな記述がある。
「形成が不利になればなるほど、勇ましい主張が横行するのは世の習いである。戦争末期の日本も、極端な精神主義が支配し、日本の方から降伏を申し出ることは不可能と思われた。その不可能が可能となった。天皇をはじめ宰相・鈴木貫太郎その他の人々が、命を賭して終戦を実現させた国が四分五裂となり再起不能となる寸前に、まだかろうじて政府の統制が取れているうちに、そして国民の意識が支離滅裂となる直前に、戦いを終える事が出来た。かくて、日本は亡国にならずにすんだし、復興の糸口をつかむ事も出来た。そう思うと、あの時終戦を実現させた人々の事を、日本人は今後も忘れてはなるまい。

*・+・*・+・*・+・*・+・*・+・*・+・*・+・*・+・*・+・*・+・*・+・*・+・*・+・*・+・*・+・*・+・

引用以上


アメリカが原爆の公開実験を周到に用意していたのは、
日本全国に落とした「模擬原爆」の事実を見ても明らかです。
参照:日本国民の上に落とされた模擬原爆

明らかに事実と反する内容を公共の電波で流し、
日本を某国の危機から救った日本の大先輩方をバカにして貶める、
こんなNHKの番組作りは、日本の恥。

NHKに放送受信料を払うなんて馬鹿馬鹿しい事この上ないです。




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[WiLL斜め読み]誰が南京大虐殺を捏造したか [WiLL斜め読み]

マンスリーWiLL10月号の記事を斜め読みです。




[誰が「南京大虐殺」を捏造したか8]


南京大虐殺についてしっかり認識しておくべきことは、
支那事変は支那側が起こした戦争だった事実である。

日本は合法的に確保した権益を守るために、
自衛行動に立ち上がったに過ぎない。

だから、1938年から1940年までの2年の間に
12回も和平提案を行った。
しかも、条件は支那側に有利なものだった
(1945年2月28日付ニューヨークタイムズ紙)

しかし、蒋介石はことごとく蹴り、
プロパガンダ機関を動員して日本を侵略者と決めつけ、
「日本は世界征服を企んでいる」と宣伝する。

この決めつけに効果を与えるために
支那側がでっち上げたのが、
南京大虐殺に他ならない。




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【WiLL斜め読み】誰が「南京大虐殺」を捏造したか [WiLL斜め読み]

マンスリーWiLL8月号の記事を斜め読みです。




[誰が「南京大虐殺」を捏造したか6]

いわゆる「南京大虐殺」は蒋介石が放ったデマが発端。
蒋介石はデマの拡散に惜しみなく金をつぎ込んだ。

支那民衆の大半が飢餓線上を彷徨っていた時代。
まずは百万米ドルを投じて巨大な孫文の廟を建設、
孫文の功績のようなものがあればそれを横取りする目的で、
孫文の後継者に化けた自己のイメージを確立しようとした。

支那人は西洋人に戦争で負けても気に留めなかった。 しかし、1894年の日清戦争で同じ東洋人である日本人に敗れると、衝撃を受けた。
その衝撃が生んだ反応の一つが、
満州人主体の清朝を倒して、漢人中心の政治を実現しようという主張だ。
蒋介石は史実に反して孫文を清朝打倒の唯一の先覚者に仕立てる事にも腐心した。

1927年4月の反共クーデターのあと、
蒋介石は上海の資本家たちを恐喝し、金を巻き上げた。 テロや逮捕、財産没収、融資強要、処刑などの手段で集めた総額は、 当時5000万米ドルに達すると推定された。

蒋介石は短期の「政府」公債を発行し、軍隊と青幣の暴れ者を使って、
小商店主から銀行の頭取にいたるまで、あらゆる人間に購入を強要した。
それを拒否した者は息子が誘拐された。
多額の寄付をすると息子は戻った。

上海の資本家はこんな暴力でねじ伏せられ、以後、ずっと金を貢ぐことになる。

蒋介石が本当に望んでいたのは、 満州に駐留してソ連の攻撃に備えていた日本軍を背後から攪乱して 支那本土に誘い込み、戦争を仕掛けることだった。

蒋介石は表では共産党軍に対する攻撃に専念しているように装った。
しかし裏では秘密組織を使って工作を進めた。
万里の長城の南側から攪乱分子を満州に送り込み、日本の関東軍の手を焼かせた。

(日本を攻撃しようとする)ソ連の動向を監視していた関東軍は
背後を脅かされる形になり、
攪乱分子を追撃するため、何度か支那北部に軍を進めた。
蒋介石はこの行動を「日本の支那侵略だ」と宣伝する。

怒る日本に対し、蒋介石は目先をごまかす作戦に出た。
日本との間で「北支停戦協定」「梅津・何応欽協定」が結ばれるが、 二つともインチキで、不渡り手形で人をぬか喜びさせる支那人の手口だった。

支那と戦う準備がなかった日本側には敵の情報を統一的に処理する機関がなく、
支那側が日本国内に送り込んだスパイは一人も捕まらなかった。

蒋介石という人物を見る場合、見落としてならない要素は、
中学生の頃からなじんでいた兵法書『孫子』である。
『孫子』の要諦は「戦わずして勝つ」ことにある。
「戦わずして勝つ」方法の一つは、
巧みな外交で敵を別の敵に討たせる事である。

1932年1月 第一次上海事変。
反蒋介石派の蔡廷鍇19路軍は全力を挙げて戦い、
約2ヶ月間、日本軍の前進を食い止め、引き下がらなかった。

19路軍の奮闘は予想外だった。
簡単に負けると見ていた支那国民は興奮した。
同じ負けるにしても、戦わずして負けるのではなく、戦って負ける気概に喝采した。
ところが、蒋介石は事実上、援軍を出さなかった。別の思惑があったからだ。

論功行賞を期待する19路軍の思惑を無視して、
同部隊を福建省に配置換えをした。
気持ちのおさまらない19路軍蔡廷鍇は福建省の地元勢力と組み、反蒋介石の旗印を掲げた。

それは蒋介石の思う壺だった。
今度は大軍を繰り出して攻め、蔡廷鍇は敗れて海外に亡命した。

自分の支配下にない軍事力は解体する。
これは蒋介石が一貫して持ち続けた方針である。その方針に従い、
19路軍の弱体化に日本軍の手を借りた。

蒋介石は支那事変でも同じ手を使い、
南京で日本軍に足手まといの軍隊を処理させる。
これがポイントである。
これが分からないと、「南京大虐殺」捏造のカラクリが見えない。

「南京大虐殺」」は1937年日本軍による南京占領の前後にはじめにでっち上げられ
特にアメリカで喧伝された「初版」には、
支那人、ドイツ人、ロシア(ソ連)人、アメリカ人、オーストラリア人が関係していた。

ドイツ軍大将のアレキザンダー・フォン・ファルケンハウゼンは、
蒋介石に日本との戦争をけしかけ、また「南京大虐殺」のでっち上げにも関わった。
この人物が本国に送った文書は、後に東京裁判で証拠として提出される。

ファルケンハウゼンの御用商人の一人、シーメンス会社の南京支店長のジョン・ラーベは、
ファルケンハウゼンの命令で「南京大虐殺」のでっち上げに参加し、
その手紙が東京裁判に証拠として提出され、後に日記も公刊される。

(次号に続く)





「戦わずして勝つ」
敵を別の敵に討たせる

それを支那人だけじゃなく、
ロシア、イギリス、フランス、ドイツ、オランダ・・
ありとあらゆる国がそういう策謀をめぐらせていた。
(現代もそうでしょうけど)

その中で誠実でいつづけようとした日本は
世界中から汚名と濡れ衣をきせられた。

それが南京大虐殺であり、アジア侵略であり、
軍国主義日本という虚構だったんじゃないでしょうか。

アメリカも支那人のデマと自身の傲慢にのせられ、
広島長崎に原爆を投下した。

正直者が馬鹿を見る、
そんな世界にしてはいけない、と一念発起した日本人は
決して間違っていたわけではないと思います。
(支那の誘いに乗って戦線が伸びきってしまった作戦そのものは失敗だったと思いますが)

「昔、日本人は悪い事をした」
そんな事実に反する思い込み、刷り込みは、
この夏で捨てませんか?


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ハワイ王国はこうして併合された [WiLL斜め読み]

WiLL2月号
堤堯さん「万里の頂上に登って考えた事」より

******************************
ハワイには日系人が早くから移民していた。
カメハメハ王朝のカラカウア王は、特別の予算を組んで日系移民を歓迎した。
王は世界一周の旅の途上、日本に立ち寄り、
姪のカイウラニ王女と、日本の皇室との婚姻を明治天皇に望んだ。
天皇は米国と対決する事を恐れて、(というか当時の日本政府?)
丁重にこれを謝絶した。

米国はハワイ併合を画策していた
その先兵となったのが、
アメリカから乗り込んできた砂糖プランテーションの経営者らで、
彼らはホノルル・ライフルズと呼ばれる武装集団を結成し
頭領にサンフォード・ドールを担ぎ、国王の権限を大幅に削る新憲法を策定し
王に銃剣を突きつけてサインさせた。
これを「銃剣憲法」という。


******************************

・・・まるで「日本国憲法」を作った時と同じですね。

******************************
カラカウア王が死に、娘リリオカウラニが王位につく
彼女は西欧流の民主主義を目指して憲法改正を計画した
当時、現住ハワイ民と日系を合わせれば、人口の過半数を超える。
危機を感じた砂糖業者らは、「治安の悪化」を理由にアメリカ領事を焚き付け、
海兵隊の出動を要請し、ともに王宮に雪崩れ込んで女王を軟禁した。
のちに、彼女はアメリカに拉致・幽閉される。


******************************

・・・やってる事がまるで支那人みたい。

******************************
ドールらはハワイ共和国を創立、自ら初代大統領に就いた。
改正された憲法は、ハワイ人にも日系にも選挙権を与えない

ドールはアメリカのハワイ併合を望み、一九〇〇年、併合なるや初代総督に就いた。


******************************

・・・ひどい乗っ取りかた。エゲツナイ。

******************************
以後、アメリカはハワイを属州とした。
これを正式に五〇番目の州としたのは一九五九年で、
白人の人口がハワイ人や日系人の人口を凌駕するまで待った挙げ句の事だ


******************************

・・・エゲツナイ。

******************************
アメリカがハワイを併合した折の大統領はマッキンレーで、
その副大統領セオドア・ルーズベルトが併合を推進した。
彼は優生学の信奉者で、
アメリカの「明白な使命=劣等民族の支配・教化」を
神から下された使命と信じて疑わない。

くわえて、アルフレッド・マハンの「海上権力史論」を信奉し、
やがて太平洋の派遣をめぐって、日本と雌雄を決する日がやってくる事を確信している。

太平洋を「アメリカの湖」にすることを決意するセオドアは、
ハワイをその要と見て、その併合を急いだ。
次の布石に望んだのがフィリピンだ。


******************************

・・・アメリカは、
外国人を使って梅毒やエイズの臨床実験、というか人体実験を平気でする。
しかし自国内では電車の席を譲ったりと礼儀正しいところもある。

その矛盾は、アメリカを静かに覆う神から下された使命、
「劣等民族の支配・教化」があるからではないでしょうか。


こんなバカげた話が、
今からつい100年ほど前に実際にあった事。
100年なんて、人一人の人生ほどの時間です。

これが世界の現実、
そして、その現実は過ぎ去ったもの、終わったものではなく、
現実に今の日本でも起こっている事です


永住外国人(韓国人、朝鮮人、中国人)の参政権問題、
竹島、千島樺太の不法占拠、
皇室のあり方を変えてしまう女系天皇・・・

世界はエゲツナイ、世界は腹黒い、
それでも日本は平和でモラル高く、
日本文明の中で国民が幸せに生きられる国として、
存続し続けるべきだと思います。


日本が外国に取り込まれて良いはずはない。





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米国のペテンに国富をむしり取られる日本 [WiLL斜め読み]

WILL1月号より
 ↓  ↓  ↓

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72年、アメリカ大統領ニクソンはドルの金本位制からの離脱を表明した。
いわゆる、ニクソン・ショックだ。
長引くベトナム戦争で金は底をついた。
フランスのド=ゴールからドルの金兌換を迫られ、
切羽詰まって取った処置だ。

以来、アメリカは国債(借金の証文)の発行につぐ発行で、
基軸通貨ドルの地位を保つ。
日本をはじめ各国は、
保有する米国債の価値を目減りさせないためには、
ドルを買い支え続けるしかない。
このカラクリをマイケル・ハドソン(経済学博士、金融コンサルタント)は、
「米国債本位制」と名付けた。

米国債の保有量で中国に抜かれるまで、
最もこれを買い込んだのは日本だ。
円を売ってドルを買う。
そのドルで米国債を買う。
買った米国債はアメリカに保管される。
借金のカタを向こうに取られ、
ひたすら国富をむしり取られる仕組みだ。


このカラクリを指して、ハーマン・カーン(シンクタンク・ハドソン研究所の創設者)は、
「史上これまで、どの帝国もなし得なかったペテンを、
 わがアメリカは編み出したというわけだ」と総括した。
そのくせ、彼カーンは「二十一世紀は日本の世紀」と日本人をおだてた。

彼のいう「史上最大のペテン」に引っかかり、
歴代の日本政府はその後も米国債を買い続いている。
この秋(2011年)にも四兆円だ、十兆円だとドルを買い、
せっせと貢ぐクンを続ける。
アメリカがコケれば日本もコケるの一念からだ。

むしろ、買うなら日銀は日本国債を買ったらどうか。
その分、円紙幣が世上に出回り、円高抑制にもなる。
円高は所詮、お札刷り負けている状態に他ならない。
むしろ、この円高を利して、なぜ円の国際化を押し進めないのか。


一方、中国はいつでも米国債を売れる。
くらべて、日本が保有する米国債は「売るな」と言われれば売れない。
向こうで塩漬けだ。
日本は世界一の債権国で、官民合わせて約五百兆円を海外に貸し込んでいる。
しかし、かつて野村証券の「大タブ」こと会長・田淵節也は、
「借金を取り立てる最終的な手段は武力を背景にした恫喝しかないはずだ」と言い、
武力を封印した債権国の危うさを嘆じた。


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あぁ、世界は腹黒い。





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日本の学校が教えない偉大な日本人-柴五郎 [WiLL斜め読み]

月刊WiLL1月号より抜粋です

↓  ↓  ↓

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清朝末期の1899年、西欧列強の収奪に抗して義和団の乱が起こる。
彼らは「扶清滅洋」を掲げて「洋人」を襲い、ドイツ公使らが殺害された。
好機と見た西太后はこれと手を結び、清兵は義和団を交えて列強の公使館を襲い、
各国の「洋人」は命からがら北京城に逃げ込む


立て籠もった一千人足らずの外国人を数万の敵が取り囲む。
映画『北京の55日』は籠城の一部始終を描いた。
籠城戦の指揮を執ったルイス少佐をチャールトン・ヘストンが演じた。

これは史実と違う。

実際に指揮を執ったのは日本の中佐・柴五郎で、
彼は五十数名の日本兵を率いて奮戦敢闘した。

中国語はもとより英語、フランス語にも通じ、
その見事な統率・指揮ぶり、くわえてその人格に各国の洋人らは信頼と感謝を寄せた。
それが史実だ。


やがてアメリカ、イギリス、ロシア、ドイツ、フランス、イタリア、オーストリアに
日本を加えた八カ国が連合軍を結成して北京に到着。
五十五日におよぶ籠城戦は死者四十人弱にとどまり、多くの人命を救った。

アヘン戦争につぐアロー戦争(1856年)で、
イギリスとフランスの連合軍は北京を占領し、掠奪・破壊・放火の限りを尽くした。
紫禁城から宝物や古美術品を掠奪するだけにとどまらず、
円明園にも押しかけ、破壊・掠奪に狂奔した。

義和団撃退後の北京でも、再び同様の事態が起こった。
くらべて柴五郎は掠奪を禁じる命令を発し、日本軍の規律は賞賛の的となった。
籠城戦の功績と合わせて、柴五郎には各国から勲章が送られている。


イギリス公使マクドナルドは、共に戦った柴と日本兵の勇敢・礼節に感動した。
首相セシルに日英同盟の構想を説き、のちの同盟締結の推進者となった。

******************************

日本の学校というのは、
「日本は悪い国でした」と教える事だけは熱心で、
どうしてこういう史実を子供たちに教えないんでしょうね。

こういった史実を子供たちに教える事で、
子供たちは、自分たちの先輩に偉大な人物がいたんだ、と
自信と誇りを持ち、
「自らも彼らのようでありたい。」
と思わせ、
現在なくなりつつある道徳、倫理、人道、モラル、
といったものを取り戻すきっかけとなるでしょうに。




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